自然との対話

環境問題に目覚めたのは、ある夏の日のことだった。私は田舎に住む祖父の家に滞在していた。緑豊かな自然に囲まれたその場所は、都会の喧騒からは遠く離れ、時間が止まったかのような静けさがあった。


祖父は自然と共に生きることを大切にしていた人だ。彼の家は古く、小さな庭には色とりどりの花が咲き乱れ、野菜畑にはトマトやキュウリがたわわに実っていた。彼の毎日のルーティンは決まって自然との対話で始まる。朝早く起きて庭を歩き回り、植物たちの成長を見守りながら、どの枝を剪定するか、どちらに水をやるかを考えるのだ。


その日、祖父と一緒に庭仕事をしていた私は、ふと気づいた。たった一つの庭に、こんなにも多くの命が息づいているのだということに。祖父が丁寧に育てたトマトの苗に、小さなカマキリが留まっているのを見つけたとき、私はこの小さな生態系の素晴らしさに驚いた。祖父は笑って言った。「君も自然の一部だ。自然と共に生きれば、心が豊かになる。」


その後、夕暮れには近くの川に散歩に出かけた。川のせせらぎを聞きながら歩いていると、祖父がふと足を止め、川の流れを指さした。「見てごらん、あそこにビニール袋があるだろう?あれが魚たちの住処を汚しているんだよ。」確かに、草むらに絡まったビニール袋が川岸に漂っていた。それを見た瞬間、私の心に何かが刺さったような痛みを感じた。一方で、こんな美しい場所が少しずつ汚されていく現実に憤りを覚えた。


帰り道、生まれて初めて環境問題について真剣に考えた。自然の美しさを当たり前と思っていたし、ゴミを捨てることや消費行動がどうつながっているのかを意識したことはなかった。しかし、祖父の話を聞いて、その重さに気づいた。自分が何をすべきか、どんな小さな行動が自然への愛を示す手段になるのか、そんなことを考え始めた。


滞在の最後の日、祖父は私に一つのノートを手渡してくれた。「これからの人生で、君が感じたことを書き留めておくんだ。特に自然に感じたことや、環境について考えたこと。その時々の気持ちを大切にしてほしい。」そのノートは、小さな庭のように一つ一つのページに書き込むことで、大きな絵が完成するのだと教えてくれた。


都会に戻ってから、私は祖父が教えてくれたことを日々の生活に取り入れ始めた。まず、ゴミを減らすためにリサイクルを徹底した。食材の無駄を減らし、買い物袋もマイバッグを使用するようにした。また、植物を育てる楽しさを知り、自宅のベランダに小さなプランターを置いた。そこにはハーブや小さな野菜が育っており、その成長を見守るのが毎日の楽しみとなった。


ある日、地元の環境保護団体が開催する清掃活動に参加した。河川敷や公園を回り、ゴミを拾い集める作業は想像以上に大変だったが、同じ志を持つ仲間たちと一緒に過ごす時間は充実していた。彼らの情熱に触れ、自分ももっと環境問題に対して前向きに取り組もうと思った。


次第に、私は環境保護について学ぶための時間を増やしていった。書籍やドキュメンタリー、オンラインの講義――様々な情報源から知識を吸収し、学んだことを自分の考えとしてしっかりノートに綴った。すると、少しずつ目に見える形で行動することができるようになった。


数か月後、私は新しいプロジェクトを始めた。それは「グリーンコミュニティ」と名付けられた、都会の中でも自然を感じられる場所を提供する活動だ。近所の学生や働く人々が一緒に植物を育てる庭を作り、そこでの交流や学びを通じて環境への理解を深めることを目指した。そのプロジェクトは、思いのほか多くの人々の関心を引き、コミュニティの輪が広がっていった。


庭で植物を育てながら、参加者たちは自然の偉大さとその保護の必要性を実感していった。私自身も、環境問題への取り組みが単なる自己満足に終わらず、社会全体に広まり、共鳴するものだということを実感した。


こうして、私の中に新しい「自然との対話」が生まれた。その対話は、単に自然を愛するだけでなく、それを守り、未来に繋げるための使命感に変わっていった。そして、その先には、祖父が教えてくれたような、心豊かな生活が待っていた。


これからも、自分の行動が少しでも自然環境の保護に寄与することを信じて、小さな一歩一歩を大切にしながら歩んでいこうと思う。そして、祖父がくれたノートに、新しい自然との対話を書き続けていく。そのノートは、未来の世代への贈り物として、いつか役立つことを願いながら。