祖母の教え

私は人生でたくさんの失敗をしてきたが、一つだけ心から誇りに思えることがある。それは、いつも家族を大切にして生きてきたということだ。特に、私は祖母との特別な絆を宝物のように大切にしている。彼女の存在が私にとってどれほど大きな支えとなったか、何度も考えさせられる。


私の祖母は、昭和の初めに小さな村で生まれた。戦争の混乱期を生き抜き、家族を守り抜いた強い女性だった。それでも彼女は、いつも笑顔を絶やさず、どんな困難にも柔らかな心で対処していた。その秘密を知りたくて、私はよく祖母のもとを訪れた。


夏のある日、中学三年だった私は、進路について悩んでいた。母親が進学を強く勧める一方で、父親は家業を手伝って欲しいと言った。私は板挟みにあい、どうすればいいのかわからなかった。そんな時、祖母の家へと足を運んだ。その小さな家は、古びたけれども温かみがあり、心が和んだ。


「おばあちゃん、どうすればいいのか教えて欲しい」と、私はやっとの思いで言葉にした。


祖母は少し驚いたような顔をしたあと、やさしく笑った。「まぁまぁ、茶でも飲みながら話そう」と言って、古びた茶筒からお茶を入れてくれた。その香りが心地よく、少しずつ不安が和らいでいくのを感じた。


「私も若い頃、たくさんの選択に悩んだものよ」と祖母は語り始めた。「村の中で助産師として働くか、都会で工場の仕事をするか、家族を養うためにどっちが良いのかずっと考えたものさ」


「でも、どうやって決めたの?」私は興味津々だった。祖母の人生の選択にはいつも深い意味があるのだと感じていた。


「その時、その時でどちらが自分らしいかをよく考えたわね。そして、それが家族にも良い影響を与えるかどうか」


「自分らしく、か」と、私はつぶやいた。進学が私らしさなのか、家業を手伝うのが私らしさなのか、ますます悩んでしまった。


「大事なのは、自分の心の声を聞くことよ。それが真実の愛情につながるから」


「真実の愛情?」


「そう、愛情は自分を大切にすることから始まるの。自分を大切にすれば、自分の選択が他人にも影響を与える。だから、自分に正直になりなさい」


その言葉が、私の胸に深く刻まれた。私は自分が何を本当に望んでいるのかを見つめ直し、進学を決意した。これが私の人生を大きく変える一歩となった。そして、それからも私は祖母の言葉を心の奥底に秘めて生きていった。


進学後、都市での生活は厳しかった。新しい友達や新しい環境に慣れるのに時間がかかった。しかし、私はどんな困難があっても祖母の言葉を思い出し、心の中で「自分を大切に」とつぶやいて前に進んだ。


年月が過ぎ、大学を卒業し、就職した。その間、祖母とは頻繁に手紙をやり取りしていた。祖母の手紙にはいつも、温かく懐かしい言葉が綴られていた。


「今は苦しいかもしれないけれど、それが君を強くする。だから、どんな時でも自分を信じて」


その言葉が、私にとってどれほどの支えとなったかは言葉では言い尽くせない。社会に出てからも、祖母の言葉は私の心の中で鳴り響いていた。


やがて、結婚し子供を持つようになった。家庭が増えるごとに祖母の教えの意味がより深く理解できるようになった。愛情とは、ただ相手を大切にすることだけでなく、自分を大切にし、正直に生きることから生まれるのだと実感した。


ある日、祖母が病院に運ばれ、一命を取り留めるも長くはないと医者から告げられた。家族全員が集まり、彼女を囲む中で、私は感謝の気持ちを言葉にした。


「おばあちゃん、あなたのおかげで私はここまで来れた。ありがとう」と涙を流しながら言った。祖母は弱々しくも温かい笑顔で応えた。「君が幸せでいること、それが一番の喜びだよ」と。


それから数日後、祖母は静かに息を引き取った。彼女の教えが私の人生の支えとなってくれたことを、改めて感謝しながら涙を流した。


今、私は自分の子供たちにも同じ言葉を伝えている。「自分を大切にし、自分に正直になりなさい」と。愛情は代々受け継がれ、深い絆となって私たちを結びつけている。それが私の人生を支える真実の愛情だ。


祖母が残してくれた言葉と愛情は、今もなお私の心の中で輝き続けている。どんな困難に直面しても、その光が私を導いてくれる。これからも、祖母の教えを胸に、愛情深く生きていこうと思う。