家族の調和

僕の家族は普通と言えば普通だった。父はサラリーマン、母は専業主婦、妹は高校生。僕は大学に通いながらアルバイトをしていた。


大学に入ってから特に夢中になるものもなく、ただ日々の課題をこなすだけの生活を送っていた。そんな中、心理学の講義に出席したとき、ある一つの言葉が僕の心に引っかかった。「自己認識」という概念だ。自分という存在を他者の視点からどう見られているかを理解することで、自分自身をもっとよく知ることができるというものだった。


その日から僕は自己認識を意識するようになった。自分の行動や考えが他人にどう影響を与えるか、逆に他人の行動や言葉が自分にどう作用するか。それはまるで鏡を見るような作業だった。だが、それが僕の家族関係にどう影響を与えるかなど、当初は考えてもいなかった。


ある日、アルバイトが終わり、家に帰ると父と母が口論しているのが聞こえた。昼間、妹が学校を休んだ理由についての言い争いだった。妹は理由をはっきり言わなかったが、どうやら家の問題が原因らしいと言う。それを聞いた僕は心の中で驚いた。両親の口論はいつものことだったし、僕もそんなものだと思い込んでいた。でも、妹にとっては違ったんだ。


それから数日、僕は家族のことをもっと深く観察するようになった。父はいつも疲れていて、帰宅するとほとんど無言でビールを飲む。母はその無言の重圧に耐えられず、しばしば口論を吹っかける。妹はその間、部屋に閉じこもって音楽を聴いて現実から逃避していた。


一方で僕は観察し、記録し、分析していただけだった。家族の一員でありながら、まるで外部の人間のように客観視することに徹していた。自己認識を深めるつもりが、いつしか他者認識ばかりに気を取られるようになった。


ある日のことだった。妹が学校から帰ってこないことに母が気づいた。普段なら、僕はそれに対して何も感じなかったかもしれない。しかし、その日は違った。妹の部屋のドアが開けっぱなしになっているのを見て、なぜか違和感を覚えた。


僕は急いで外に出た。妹の通う学校へ向かう途中、人気のない公園のベンチに座っている妹を見つけた。彼女は泣いていた。


僕はベンチに座り、しばらく黙って彼女と過ごした。やがて、妹が口を開いた。「お兄ちゃん、いつも家にいるのに、なんでこんなに遠い感じがするんだろう」と言った。その言葉は僕の胸に重く響いた。


それから僕は自分自身と向き合うようになった。自己認識とは何だろう。単に自分を知ることにとどまるのではなく、自分が他人にとってどういう存在なのかを知ること。それは家族への愛や理解にもつながるものだと気づいた。


その日から、僕は積極的に家族と話すようになった。父には仕事の話を聞き、母には家庭の愚痴を聞いた。妹には学校で起きた出来事や友達のことを聞いた。僕はただ観察者でいるのではなく、家族の一員として積極的に関わるようになった。


時間が経つと、家族のダイナミックも少しずつ変わっていった。父は風呂上がりにビールを飲む前に、リビングで少し話をするようになった。母は以前ほど感情的になることが少なくなった。それはきっと、彼女が話を聞いてくれる誰かを見つけたからだろう。妹は、以前ほど家に閉じこもることがなくなった。彼女は自分の存在が認められていると感じるようになったのだと思う。


僕たち家族は依然として完璧ではない。しかし、僕自身が家族としての役割を理解し、自分をその中でどう位置付けるかを知ることで、少しずつでも良い方向に変わっていけると感じている。


僕の「心理学」への興味は、一つの課題を超えて家族の理解へと進化した。それは僕自身の「自己認識」を超えた、「家族認識」とも言えるかもしれない。


この経験を通じて僕は、自己認識が他者との関係をより良くするための重要なステップであることを学んだ。そしてそれは、自分自身の心の中で始まる、小さな変化から生まれるものなのだと。


この気持ちを忘れず、僕はこれからも前を向いて歩んでいこうと思う。”