光を受け続けて

ある日、私はふと鏡を見つめた。30歳を迎えた深夜のことだった。ぼんやりと自分の顔を見つめるうちに、ふいに過去の出来事が走馬灯のように頭の中に流れ込み、気がつけば机に向かいノートを広げていた。日常の営みの中に埋もれていた過去の「私」と向き合う時間がやって来たのだ。


中学一年生の春、私は学校という大海原に放り出された小舟のような存在だった。クラスにはすぐに馴染めず、友達も最小限で、休み時間にはいつも教室の隅っこで小さな読書の世界に逃げ込んでいた。そんな日々を彩ってくれたのが、数学教師の田中先生だった。


田中先生は特別何かをしてくれたわけではない。彼は授業中にたまに冗談を言ったり、誰もが解けなかった問題を軽々と解いたりするだけだ。しかし、私にとって彼の存在は非常に大きかった。田中先生の数学の授業は、私が生き生きとする瞬間でもあった。


ある時、私が誰よりも早く問題を解いた日があった。その時、田中先生は短くほめただけだったが、その一言が私の心を明るく照らしてくれ、少しずつ自己肯定感が芽生えたのを今でも覚えている。彼に認められたという小さな喜びが、私の日常の中でどれほど大切だったかは、後になって気づくこととなる。


高校に進学してからも、数学だけは自信を持って取り組むことができた。田中先生の影響もあって、私は進路として数学教師を目指すようになった。しかし、現実は甘くはなかった。大学受験に失敗し、一浪することに。心が折れそうになったその時期、私は自分の部屋でふと中学生時代のノートを見つけた。その中には、田中先生の書き込みやメッセージがたくさん残っていた。「自分を信じることが大切だ」と書かれた一言に、再び奮い立たされた。


浪人時代は地獄のような日々だった。しかし、その中で出会った予備校の先生もまた、私にとっての光となった。彼の一言一言が、かつての田中先生同様、私を支えてくれた。苦しい受験生活を乗り越え、ようやく合格通知が届いた時の安堵感と達成感は、今でも鮮明に思い出される。


大学生活では、私はすぐに友達もでき、授業やサークル活動に積極的に参加するようになった。しかし、田中先生や予備校の先生のおかげで得た自己肯定感は変わらず私を支え続けた。そして、念願叶って教職課程に進み、夢に一歩一歩近づいていく日々が始まった。


そして、ついに私は教師となった。しかし、日常は想像以上に厳しかった。教室に立ち、目の前の生徒たちを見渡すと、かつての自分のように不安そうな顔をしている子も多かった。心の中で「田中先生ならどうするだろう」と何度も自問自答しながら、少しずつ自分のスタイルを見つけていった。


ある日のこと、一人の生徒が私のところへ来て「先生の授業が好きです」と言ってくれた。その瞬間、私は田中先生に認められた日の感覚を思い出し、どれほど小さな一言でも誰かの人生に大きな影響を与えることができると再認識した。


現在、教鞭を取る傍ら、私は日々の出来事をノートに書き綴っている。忙しい日常の中でも、自分の経験や感じたことを文章にすることで、自分自身を見つめ直すことができるのだ。


振り返れば、私の人生は小さな日常の積み重ねでできている。そして、その一つ一つの出来事が今の私を形成している。田中先生や予備校の先生、そして生徒たちとの出会いは、何ら特別ではないように見えるかもしれない。しかし、その一つ一つの瞬間が、私を少しずつ成長させ、前に進むための力となった。


今夜もノートとペンを手に、新たな一ページを描いていく。私の日常は続いていく。明日もまた、小さな奇跡が待っているだろう。