流れの中の記憶

日の光が斜めに差し込み、山々の緑が鮮やかに目に映る。小川のせせらぎが心地よい音を立て、鳥のさえずりがその合間に優しく響いていた。私は子どもの頃、夏の休日にこの場所を訪れるのが大好きだった。ここは、祖父の家から歩いて30分ほどのところにある、みんながあまり訪れない静かな森だった。


それから何年も経ち、私は都市での忙しい生活に埋もれ、祖父の家も数回しか訪れていなかった。そんなある日、ふとした思いつきで、久しぶりにこの森を訪れることにした。さっきまで降っていた雨があがると、空には青空が広がり、森に向かう足元の小道が淡い緑の葉で覆われていた。


歩いていると、幼いころの記憶が次々と蘇ってきた。木の幹を登ったり、川で魚取りをしたりしたこと。祖父に教わった昆虫の名前や、植物の名前を思い出す。自然の中で過ごした夏の日々が、宝物のように心に残っている。やがて小川のほとりにたどり着くと、流れが生き生きとした音を立て、岸辺にはわらべ歌を口ずさむように花が咲いていた。


私は水の中に足を入れて、冷たい感触を楽しんだ。目の前の光景は、まるで何も変わっていないかのようだった。しかし、よく見ると、自然はゆっくりと変化していた。岸辺の木々が古びて、流れに沿って新たな草花が生え、冬を越すたびに少しずつ形を変えている。その変化には時が流れていることを教える静かな声があった。


しばらくして、ひときわ大きな木の下に座り込むことにした。その木は、私が子どものころからずっと変わらずそこに立っていた。大きな樹冠が広がり、下には日陰ができていた。私はその根元に寄り添うようにして、目を閉じた。木の香りや土の匂い、風のさざ波が心を和ませてくれる。


思わず、周りの自然に自分の心を開いてみた。青い空、緑の葉、流れる水、すべてが一つの大きな生命体のように感じられた。祖父が教えてくれた自然の神秘を思い出し、どこまでも深く自然に触れていく感覚を楽しんだ。しばらくすると、鳥が木の枝に止まり、さえずりを始めた。彼らの歌は、まるで私への歓迎のようだった。


時間を忘れてぼんやりしていると、ふと目に留まったのは、小川を挟んだ向こう岸に咲く一輪の花だった。その花は、私が子どものころに祖父から教わった「流れの花」、つまり川の流れに生きる花だ。川の水に流されながらも、一生懸命に根を張り、自らの花を咲かせる。道を選ばず適応し、自らの活力を引き出す姿が、私の心に響いた。


その花を見ていると、自分もまた、人生の流れに逆らわずに生きることが大切だと思えた。忙しい生活の中で見失っていた大切なことに気づかされる。私たちは選んだ道を歩み続けることが必ずしも容易ではない。それでも、その選択が自分自身の成長を促してくれると信じることが、自然と共に生きるということなのだろう。


一日の終わり、再び小川に向かうと、日が沈む瞬間の美しさに心を奪われた。夕陽が水面に映り、金色の光が揺らめいている。私はふと、祖父の言葉を思い出す。「自然には、自分自身を知るための智慧が隠れている」その言葉は今も私の心に響いている。


静かに森の中で一人、私はその瞬間を味わった。自然に抱かれている温もりを感じながら、この場所が私の帰るべき場所であることを改めて実感する。日常を離れて自然の中に身を置くことで、心が洗われ、新たなインスピレーションが湧いてくる。その一瞬一瞬の中で、私は自分自身を再発見していた。