潜在の闇

日が沈み、辺りが暗くなった頃、静かな住宅街の一角にある古びた一軒家に明かりが灯った。その家に住むのは七瀬麻美子、30代半ばの女性だ。彼女は一見普通のOLだが、その裏には誰にも言えない苦悩を抱えていた。


家の中は整然としていて、麻美子の几帳面な性格を反映している。彼女は夕食の準備を終え、テーブルに座って静かに本を読んでいた。しかし、その瞳は決して安らかではなかった。


突然、ドアベルが鳴った。麻美子は一瞬驚き、そしてゆっくりと立ち上がる。ドアを開けると、そこには見知らぬ男が立っていた。彼は長身で、スーツを着こなし、物腰の柔らかそうな佇まいだった。


「こんばんは、七瀬麻美子さんですね?」男は穏やかに尋ねた。


「はい、そうですが。あなたは?」


「私の名前は中村と申します。ちょっとお話できる時間をいただけませんか?」


麻美子は疑問と警戒の眼差しを浮かべながらも、男の真摯な態度に心を許し、彼を家に招いた。リビングに通し、二人は向かい合って座った。


「こんな時間にお邪魔して申し訳ありません。実は、あなたにお力をお借りしたくて参りました。」中村は苦笑いを浮かべながら言った。


「お力を?一体何のことですか?」


中村は一瞬正気を失ったかのように遠くを見る目をした。そして、意を決して口を開いた。


「実は、あなたのご主人である七瀬啓介さんが数ヶ月前に消えたことをご存知ですね?」


麻美子はその言葉に驚きと不安が入り混じった表情を見せた。「もちろんです。警察にも届けましたが、何の手がかりも見つかっていません。」


「その通りです。しかし、私は彼の行方に関する新たな情報を持っています。」そう言って中村は一枚の写真を取り出した。


その写真には、麻美子が知らない男性と一緒に歩く啓介の姿が写っていた。彼が最後に見られた日はこの男性と会っていたのだ。


「この男性は一体誰なんですか?」麻美子は動揺を隠せなかった。


中村は深いため息をつき、「その男性は私の同僚だった人物、井上真人です。彼は心理学者で、犯罪心理学の専門家でした。啓介さんが彼と接触していたのは、何か大きな理由があったのではないかと考えています。」と答えた。


「でも、啓介がそんな専門家と接触していたなんて、なぜでしょうか?」麻美子は困惑した表情で尋ねた。


「それについては、井上の研究を調べる必要があります。」中村はポケットからもう一つファイルを取り出し、テーブルに広げた。ファイルには井上の研究論文やメモがびっしりと詰まっていた。


「井上は、人間の深層心理に関する研究を行っていました。特に『潜在意識の操縦』というテーマに興味を持っていました。これが鍵かもしれません。」


麻美子は頭の中で情報を整理しようと努めたが、どこか非現実的な気がしてならなかった。「では、啓介が井上と接触したのは、その研究に関連しているのでしょうか?」


中村は頷き、「啓介さんの行方が掴めないのは、もしかすると彼が自らの潜在意識を操縦して、自分自身を消すような行動を取った可能性があります。」と説明した。


「そんなことが可能なんですか?」麻美子は信じがたい思いで尋ねた。


「実際に可能かどうかまでは分かりません。しかし、井上の研究が非常に進んでいたことは事実です。」中村は緊張した表情で続けた。「私が知りたいのは、啓介さんが何を目的としてそのような行動に出たのかです。その手がかりを探るために、あなたの協力が必要なのです。」


麻美子は深く考え込んだ。啓介がなぜそんな危険な研究に関わっていたのか、その理由を知るために、彼女もまた真実を追求する覚悟を決めた。


「分かりました。私にできることがあれば、協力します。」麻美子は決心を固め、中村に答えた。


中村は安心した表情を浮かべ、「ありがとうございます。まずは、啓介さんの行動の記録や何か手がかりになるようなものを集めましょう。」と提案した。


二人はリビングを徹底的に調べ始めた。机の引き出し、棚の中、そして寝室まで。しかし、何も見つからない。疲れ果てた二人は一度手を止め、麻美子が淹れたコーヒーを飲みながら考え込んでいた。


突然、中村がふっと笑みを浮かべ、「独立心のある人は、秘密を隠す場所にも工夫するものです。例えば...」証明写真の額縁を外し、中に隠れていた薄い紙を取り出したのだ。


そこには、啓介のメモが書かれていた。一部が暗号のように隠されていたが、確かに重要な手がかりであることがわかる。


「これを解読すれば、我々は真実に近づけるかもしれません。」中村はそう言って麻美子を見つめた。


麻美子も頷き、二人はそのメモを解読し始めた。そのメモには、井上と共に研究していた装置の設計図や、潜在意識に関する詳細な記述が含まれていた。彼のメモから、啓介が何を求めていたのかが次第に明らかになっていった。


それはまた、新たな謎への扉を開くものでもあった。啓介がなぜ自らの深層心理に干渉しようとしたのか、その答えを探るために、二人はさらに深い闇へと踏み込んでいく決意をした。麻美子の夫の謎、そしてその裏に潜む心理の闇が、彼らを新たな冒険へと誘っていくのだった。