少女の視線

彼女の名は美咲。都心から少し離れた静かな町に住んでいた。美咲は決まった日曜日に、毎週のように自宅近くの公園を訪れるのが習慣だった。いつも同じベンチに座り、読書をしたり、コーヒーを飲んだりしながら過ごすのだった。しかし、ある日曜日、美咲はいつもとは違う感覚を抱えていた。周囲の空気が重く、どこか寒々しい。それでも彼女は公園へ足を運んだ。


公園に着くと、いつも通りの風景が広がっていた。しかし、ベンチに腰かけてしばらくすると、異変に気付いた。周囲が静まり返り、いつもは子供たちの遊び声やカラスの鳴き声が賑やかなのに、この日は一切の音がしなかった。その場を立ち去りたくなる心を抑えつつ、彼女は本を開いてみたが、頭の中に入り込むのは内容ではなく、背後に感じる視線だった。


次第にその視線は強まっていく。美咲は無意識のうちに振り返った。そこには、薄暗い樹木の間からこちらを見つめる一人の少女がいた。彼女の髪は長く、ゆらゆらと風になびいている。服は時代遅れのものに見え、白いドレスが少し汚れている。目が合った瞬間、美咲は凍りついた。少女の目の奥には、何か暗いものが渦巻いているように感じた。


美咲は背筋が寒くなるのを感じながら、本を閉じて立ち上がった。逃げるように公園を後にしようとしたが、少女はその場に立ち尽くし、動く気配がなかった。美咲は彼女に何かを尋ねる気にもなれず、ただ足早に歩いた。しかし、家に帰る途中、ふと後ろを振り返ると、少女が少し近づいてきていることに気付いた。恐怖がこみ上げる中、美咲は全速力で走り出した。


家に戻ると、心臓がドキドキしている。恐ろしい夢でも見たかのようで、自分の感情を否定したかったが、何かが彼女を否定できない現実に引き戻していた。その晩、美咲は夢の中でも少女の姿を見た。満面の笑みを浮かべて、静かに自分を呼ぶ。目が覚めた時、彼女は汗びっしょりになっていた。どうしても気持ちを落ち着けることができず、美咲は仕事も手につかずにいた。


次の日、彼女は再び公園に向かう決意を固めた。少女を無視することができず、何かを解決しなければならないと思ったからだ。公園に近づくにつれて、胸の鼓動は速くなる。すると、その場所に着いた瞬間、あの日見た少女が再び現れた。今度は少し近づいており、大きな目が美咲をじっと見つめていた。彼女は恐怖に駆られながらも、一歩踏み出した。「どうしたの?」と声をかけた。


少女は無言で美咲に近づいた。耳に届くのは彼女の小さなささやきだった。「助けて…」美咲はその言葉に戸惑った。恐怖とは裏腹に、その少女に何か深い悲しみを感じ取ったのだ。美咲は少しだけ心を鎮め、自分の勇気を振り絞って続けた。「何があったの?」すると、少女は小さく震えながら指を差した。指先には朽ち果てた木があった。


「ここで…私、ずっと待っている…」


美咲はその言葉に心を打たれた。少女の表情が悲しみに満ちている。彼女の姿には何か過去の悲劇を思わせるものがあった。何かを解きほぐさなければ、この少女は永遠に解放されないのではないかと考えた。その木の下で何かが起こったのだ。美咲は自分の手を伸ばし、少女の手を取った。


その瞬間、周囲の空気がさらに冷たくなり、後ろから拍子抜けするように風が吹いた。少女は微笑みを浮かべ、そして急に消えてしまった。美咲は混乱の中、木の根元を掘り始めた。時間は忘れ、夢中で掘るうちに、何か硬い物に触れた。それは古い木箱だった。箱を開けると、中には手紙と小さな人形が入っていた。


手紙には彼女の名前、そして「ごめんなさい。わたしはずっとここにいるの」と言った内容が書かれていた。美咲は涙が止まらなかった。彼女は、自分がただ見て見ぬふりをしてきた多くのことを思い出した。少女の悲しみを背負うことで、彼女の存在を理解できたのだ。


その日以降、美咲は公園を訪れるたびに少女のことを思い出し、彼女のために花を添えることにした。彼女の心の中には少女の存在がいつも住み続け、彼女のために祈り続けることを決めた。おそらく少女は解放されたのかもしれない。しかし、美咲は彼女が消えた日から、時折不思議な視線を感じることがあった。それは、少女がいつもそばにいる証のように。