母の手紙
高校卒業後、私は東京の大学に進学するため、故郷の小さな町を離れた。家族からの愛情に包まれた温かな日常から、冷たいアパートの一室での孤独な生活が始まったのだ。東京の曇り空が心に重くのしかかり、初めての一人暮らしに戸惑いを感じる毎日だった。そんな中、母の手紙が私の心を救ってくれた。
母は昔から手紙を書くことが好きで、私はその手紙に何度も慰められた。最初の手紙は、私が東京に到着した翌日だった。まだ引っ越しの荷を解くこともできず、不安なまま部屋に座り込んでいると、郵便受けに入った一通の手紙を見つけた。
「京子へ、無事に着きましたか?いつも心配になるけれど、あなたならきっと大丈夫。東京でもしっかりやっていると信じています。体に気をつけて、愛しているよ。母より」
短いメッセージだったが、心が温かくなった。母の優しい文字が目に浮かび、まるで一緒にいるような気分になった。その瞬間、どんなに離れていても、愛情が私を支えていることに気付いたのだ。
月に一度、母からの手紙が届くようになった。内容は日常の些細な出来事であったり、家族の近況報告であったりしたが、毎回読むたびに心が癒されるのを感じていた。特に、試験期間中に届く手紙には、励ましの言葉が多く書かれていた。
「京子、勉強が大変だろうけれど、あなたならきっと乗り越えられます。わからないことがあったら、いつでも電話してね。愛してるよ。」
その手紙を胸に、私は試験勉強に打ち込んだ。母の言葉が、私の背中を押してくれたのだ。
季節が巡り、桜が咲くころ、私は大学生活に少しずつ慣れてきた。しかし、生活費を学資だけでやりくりするのは困難で、アルバイトを始めることにした。忙しい日々だったが、それでも母の手紙を読む時間だけは大切にしていた。
ある日、仕事から帰ると郵便受けにいつもの手紙が入っていた。疲れ切っていた私はその手紙を見て、自然に笑顔になった。部屋に戻り、コーヒーを片手に手紙を読む。
「京子、アルバイトも始めたと聞いて、本当に頑張っているね。無理だけはしないで、自分のペースでやることが大切よ。忙しい中でも、少しでも自分の時間を作ってね。愛してるよ。」
その晩、私は母に電話をかけた。久しぶりに聞く母の声に、思わず涙がこぼれた。母もまた、泣きながら私を励ましてくれた。「京子、本当に頑張っているね。大変なことがあったら、いつでも戻ってきていいんだからね。あなたを愛しているよ。」
その後も手紙は途絶えることなく届き、私はそのたびに母の愛情を感じることができた。大学を無事に卒業し、東京で就職が決まったときも、母からの手紙は変わらず続いた。仕事が忙しくなってからも、母の言葉が私を支えてくれた。
最後の日曜日のことを今も覚えている。母が入院していた病院に行くと、母は弱々しい微笑みで迎えてくれた。病室の窓から見える桜が満開で、母と一緒に見たのはその最後となった。
「京子、お疲れ様。愛してるよ。」
それが母の最後の言葉だった。今でも、あの日の桜を見るたびに涙がこぼれる。
母が亡くなった後、私は実家の片付けをしていた。母の引き出しの中から、未送の手紙が何通も見つかった。それは私への手紙だった。母は、病床でも私に手紙を書き続けていたのだ。
「京子、あなたが幸せであることが、私にとって一番の幸せです。どんなに遠くにいても、あなたを想っているよ。愛してるよ。」
それ以来、私は母の愛情を心の中に抱き続けて生きている。どんな困難に直面しても、母の愛情が私を支えてくれているのだ。あの手紙たちは、今も私の宝物だ。
母の愛を受けて育った私は、今度は自分が誰かを支える存在にならなければならないと思う。母が私に教えてくれた愛情の大切さを、次の世代に伝えていきたい。それが、母への最高の恩返しとなるに違いない。そして、私も誰かに「愛してるよ」と言い続けるだろう。