何もしない幸せ

朝の光が薄くカーテンを通し、部屋を優しく包み込む頃、私はまだ布団の中で目を閉じていた。外は静まり返り、時計の針が刻む音だけが耳に届く。普段なら目覚まし時計の音で飛び起きるはずだが、今日は週末。何もすることがない日だから、少しだけ贅沢に眠り続けることにした。


やがて、外から聞こえる小鳥の囀りが、私を少しずつ現実へと引き戻す。心地良いその音に誘われるように、私は布団の中でゴロゴロしながら天井を見上げる。今日も何も予定がないのだと再認識し、わずかに心が軽くなる。こういった何気ない日常が、私にとっての幸福なのだということを理解している。


ベッドからようやく起き上がると、窓を開ける。冷たい風が部屋に流れ込み、一瞬の清々しさで私の頬を撫でる。顔を洗い、シャワーを浴びて身を整える。朝食はどうしようかと考えながら、冷蔵庫を開けると、昨日作ったスープが目に入った。「これでいいか」と呟きながら、電子レンジで温める。スープはパンとともに、あたたかい朝食として私の食卓に並ぶ。


食事をしながら、今日は何をしようかと考える。特にやることもないのだが、何かをしないと一日がもったいない気がする。最近読んだ本の中で、近くの公園の散策が紹介されていたことを思い出し、食後の散歩に出かけることに決めた。


公園は家から歩いて15分ほどの距離だ。静かな道を歩くと、朝の光がまぶしい。この街の中で、こうして自分のペースで歩くことができるというのは、とても心地良いことだと感じる。時折、通り過ぎる人と目が合って、軽く会釈を交わす。それだけで、なんとなく温かい気持ちになるのだ。


公園に着くと、ひんやりした空気が一層爽やかに感じられた。広々とした芝生の広場では、家族連れの子供たちが遊んでいて、その楽しそうな声が耳に入る。私はベンチに腰を下ろし、しばらくその様子を観察する。不思議なことに、知らない人たちの笑顔を見ていると、こちらまで笑顔になってしまう。


ベンチに座ると、周りの人々の生活が目に入る。友達同士で楽しそうに話しているグループ、愛犬を連れて散歩するおじいさん、一人静かに本を読んでいる女性。彼らはそれぞれの時間を過ごし、それがまた私の日常の一部となっている。その様子を見つめながら、私はふと自分がどの位置にいるのかを考えた。私もまた誰かの生活の一部なのだ。


時間が経つにつれ、空は少しずつ青さを増し、公園の木々も太陽の光を浴びて生き生きとした香りを放つ。私はひとつ深呼吸をし、心の中のモヤモヤが少し軽くなるのを感じた。何気ない日々の中にも、こうして定期的に訪れる安らぎの瞬間があることを思い出す。


いつの間にか時間は昼過ぎを過ぎ、少しお腹が空いてきた。近くにあるカフェにふらっと立ち寄り、ブレンドコーヒーとスイーツをオーダーする。カフェの中は薄暗く、落ち着いた雰囲気。その中で、窓から差し込む光が私のテーブルを照らし、何とも言えない安らぎを与えてくれる。


コーヒーの香りに包まれながら、私はスマートフォンを取り出し、SNSを確認する。友人たちの投稿を見て、彼らがどのように今日を過ごしているのかを知る。そして、一つ一つに「いいね」を押していると、誰かとつながっている感覚を再確認できる。


午後のひとときを過ごし、カフェを出た私は、帰り道を歩きながら、今日の出来事を振り返る。「ただ何もしない日」でも、気付かぬうちに心が満ちていたのだ。しかし、この「何もしない日」こそが、私にとっては大切な日常の一部なのである。


帰宅すると、静かに時間が流れる。やがて夕方の光が部屋に差し込み、オレンジ色の温かな色合いが広がる。その美しさに思わず立ち止まり、しばらく見入ってしまう。何気ない日々の中にも、小さな奇跡が隠れていることを再認識し、心が温まる。


夜になり、部屋の灯りを点けると、柔らかな明かりの中で、今日の出来事を思い返す。そして、何か特別なことがなかったとしても、幸せで満ち足りた一日だったと感じる。これこそが私の日常であり、その積み重ねが私を作っている。


私はベッドに横たわり、静かに目を閉じる。今夜の夢の中でも、今日のような小さな幸せが続くことを願いつつ、眠りに落ちていった。どんな小さな日常でも、それがあることで私は生きる力をもらっているのだ。