棘の記憶

ある日突然、私の心は閉ざされたように感じた。18歳の誕生日を迎えたその日までは、家族、友人、学校、すべてが順風満帆だったように思う。けれどその日は違った。朝目が覚めたとき、胸に重苦しい感覚が広がっていたのだ。顔を洗っても、朝食をとっても、その重みは消えなかった。まるで全身を濡れた毛布で包まれたようで、息苦しささえ感じるほどだった。


幾度となく考えたが、その原因はまったくわからなかった。私は時に悩んで涙を流したが、涙の背後には理由が見当たらなかった。そのため、私は自らの感情を隠すようになった。親に打ち明けることもできなかったし、友人に相談することも恐れた。特に、母親には絶対に知られたくなかった。彼女はいつも「自分の気持ちを大切にしなさい」と言っていたが、その言葉が今の私にはむしろ重荷に感じられた。


数カ月が過ぎ、私の状態は一向に改善しなかった。重苦しい感覚は朝晩問わず常に私を苛み、夜もよく眠れなくなった。学業成績も落ち、以前は笑顔の絶えなかった友人との関係も次第に希薄になった。周囲の人間は私が何かに悩んでいると気づいていたが、その詳細を知ることができないでいた。


ある日、母親が私の部屋を訪れ、何か話があると言った。その瞬間、私は気が動転したが、彼女の顔を見るとその優しい瞳に涙がうっすらと光っていることに気づいた。「何があったの?」と彼女は静かに尋ねた。その言葉に触れた瞬間、私の中で何かが崩れてしまった。涙が止めどなく流れ出し、胸の中に隠していた不安と恐怖が一気に溢れ出した。


「わからないんだ」と私は口を開いた。「何が私をこんなに怖がらせているのか、どうしてこんなに辛いのか、何もわからない。」その言葉を絞り出すと、母は私を強く抱きしめた。そして耳元で、「大丈夫」と囁いた。それがどれほど私を救ったのか、言葉では表現できない。


母は私を精神科医のもとへ連れて行くことにした。診察室で私は、これまでの心の葛藤と苦しみを正直に語った。医師は優しく話を聞き、初めての診察ではうまく結論に至らなかったが、少なくとも私の話に真剣に耳を傾けてくれる存在に救われたと感じた。


その後、数回のセッションを重ねる中で、医師は私に対してこう言った。「あなたの感情には理由があります。その理由が明確に見えないとき、それは心の中で何かが引き金を引いているのです。ゆっくりとその理由を探りましょう。」その言葉に、少しだけ希望が見えた気がした。


セラピーの中で、私は自分の過去の出来事や感情を振り返る機会を得た。特に、幼少期に経験した些細な出来事が、今の私に深く影響を与えていることが段々と明らかになってきた。ある日、私は6歳の頃の記憶を思い出した。その日は学校で大切な授業参観があり、私は母が来るのを待ち望んでいた。しかし、仕事の都合で母は来ることができなかった。そのときの失望感と孤独感が、まさに今の私に重なっていることに気づいた。


その気づきを得たとき、心の中で何かが解けたようだった。一度壊れた信頼関係は、その後も私の心の奥深くに棘のように残っていたのだ。その棘を取り除くことが、私の回復への第一歩だった。母にそのことを伝えた夜、彼女は再び涙を流しながら私を抱きしめ、「ごめんね」と繰り返し謝った。彼女の言葉に再度涙が溢れたが、この涙は少しばかりの癒しをもたらしてくれた。


その後、私は再び生活のリズムを取り戻し始めた。重苦しい感覚も次第に薄まり、夜もぐっすりと眠れるようになった。友人たちとも再び笑顔で話すことができるようになった。人生には多くの試練があるが、その全てに対応することができるのは、自分の心に正直になることが必要だと学んだ。


私の自伝の一部であるこの経験は、私が再び立ち上がるための力を与えてくれた。心の奥底にある痛みを認識し、それに向き合う勇気を持つことの大切さを誰もが理解できればと願う。これからもきっと、多くの試練が待ち受けているだろう。しかし、自分の心に素直になり、あらゆる感情に向き合うことで、きっと乗り越えることができると信じている。