命のバランス

燃え尽きた煙の中、私立探偵の橘一馬は崩れかけた屋敷の前に立ち、深呼吸をした。これまで無数の事件を解決してきた彼だが、今回の依頼は特別だった。彼の目の前には、華族の大豪邸があるはずだったが、今や灰と瓦礫の山と化していた。所有者である秋月家の老主人・秋月寛一が突然の火災で亡くなったという報告だった。しかし、橘にはこの事件が単なる事故ではないという直感があった。


灰の中を歩き回りながら、橘は屋敷の生存者である秋月家の人々を見渡した。彼らの中には寛一の息子・秋月隆二、娘・秋月美咲、そして孫の麗奈がいた。彼らの表情には深い悲しみだけでなく、他にも何か隠されているように見えた。橘はまず最寄りの警察署から送られてきた火災調査報告書に目を通した。それによると、火災の原因は古い配線による漏電とされていたが、橘はこれに疑問を持った。


「漏電だけであのような急激な火災が起こるものだろうか。」彼は心の中で問いかけた。


橘は現場を細かく調査し、唯一無事に残っていた一室に目を引かれた。その部屋は書斎で、一冊の古い日記が焼け跡の中から見つかった。日記には、寛一が過去に秘密にしてきた出来事が綴られており、その中には秋月家の財産を巡る争いや、寛一が若い頃に遭遇した神秘的な出来事が記されていた。


その日記を読み進めるうちに、橘は一つの重要な情報に気付いた。寛一はある霊媒師と契約を交わし、自分の命と引き換えに、ある者を生かし続ける力を手に入れたというのだ。その人物の名は【秋月麗奈】、隆二の娘だった。日記によれば、麗奈は生まれつき心臓に持病があり、非常に短命とされていた。しかし、霊媒師との契約により、彼女の命を維持するための不思議な力が働いていた。


橘はこの出来事が家族全体にどのような影響を与えたかについて考えを巡らせた。寛一が命を賭してまで守ろうとした少女・麗奈の存在が、この一家の過去と現実の悲劇を形成していたのだと気づいた。しかし、麗奈自身はその秘密を知らなかった。


「麗奈さん、お話をお伺いしても構いませんか?」


麗奈は少し驚いた様子で顔を上げた。「はい、何でしょうか?」


「あなたのおじいさまがどんな人だったか、そして彼が何を大切にしていたかお聞かせ願えますか?」


麗奈は一瞬考え込んだ後、静かに語り始めた。「おじいさまはとても優しくて、家族を大切にした人でした。でも、時々何かに怯えているような表情をしていました。特に私に向かって微笑む時、何故だか悲しそうな目をしていました。」


橘は麗奈の言葉に耳を傾けながら、彼女がどれほどの秘密を知らされていなかったのかを察した。「それはとても重要な情報です。ありがとう、麗奈さん。」


次に橘は寛一の息子・隆二と娘・美咲にも話を聞いた。寛一が晩年に何かを隠していたということ、家族の中で何かが壊れ始めたという感覚を彼らも共有していた。特に、美咲は弟・隆二が父・寛一に対して複雑な感情を抱いていたことを明かした。隆二は自らの財産を手に入れるために父親の死を願っていたのではないかと疑っていたのだ。


橘はふと思い立ち、霊媒師との接触を試みた。その霊媒師・白瀬紗江は人里離れた山中にひっそりと住んでいると聞き、橘はその住処を訪れた。紗江は高齢の女性で、彼女の眼差しには深い知識と奇妙な力が宿っていた。


「あなたが秋月家の命運を握っているのですね、白瀬さん。」


「そう言えるかもしれませんね。」紗江は静かに答えた。


橘は彼女から得られる情報を慎重に引き出した。紗江は、寛一との契約がどのように行われたのかを詳細に説明した。寛一の命と引き換えに配下の守護霊が彼の家族を守り続ける、その中でも特に麗奈を。しかし、紗江は悲しそうな表情をして言った。


「全てはバランスです。寛一の死はそのバランスを崩し始めたのです。」


その言葉を聞いた橘は全てを理解した。炎は一つの終わりを告げるものであり、同時に新たな始まりを告げるものである。寛一の死は不可避だった。そして今、新たな命がその力を受け継ぐ時が来ていた。


橘は秋月家に戻り、全てを説明した。麗奈は自分の命がどれほど特殊なものかを知り、涙を浮かぼしながらも、新たな始まりを迎える覚悟を決めた。家族の絆は一度壊れかけたが、今度はそれぞれが互いを支え合うことで、再び強く結びついていった。


橘は静かに去りながら、心の中で寛一に感謝した。その命を賭してまで家族を守り続ける力。それこそが生と死の境界に潜む究極の謎だったのだ。