母の愛と強さ

私が40歳になったとき、母はすでに余命宣告を受けていた。がんが彼女の身体を蝕み、その日常はもはや自立した生活を維持することが困難になった。それでも母は笑顔を絶やさず、家族や友人を励まし続けていた。


私自身、心理学の研究者として、多くの人々の心の底を掘り下げてきた。日常の中で出会うさまざまな感情や思考の流れ、それらをどう扱い、どう理解していくかが私の仕事だ。しかし、母の状況に直面したとき、その理論は無力に感じた。我が家に帰る度に、母の笑顔と苦しみが入り混じる姿に心が揺さぶられた。


ある日、私は母と話す機会を持った。彼女はベッドに横たわりながら、窓の外を見つめていた。秋の寂寥とした風景が広がり、枯れ葉が舞い散る中で、彼女の目に映る世界はどのように見えているのだろうかと考えた。


「ママ、どうしてそんなに強いの?」と私は尋ねた。母は少し微笑み、優しい目で私を見つめ返した。


「強く見えるかもしれないけれど、実際にはそんなことないのよ。毎日が心の戦いなの。」


その言葉に私は驚いた。母が苦しんでいることは分かっていたが、本当の心の内を聞くのは初めてだった。


「心理学の本や理論ではね、感情をコントロールする方法や、ストレスを軽減するアプローチがいろいろと書かれているけれど、それだけじゃ説明できない部分が多いのよね。」と私は続けた。


「そうね、それは確かに正しいわ。でも、それがすべてじゃないのよ。大切なのは、自分の心を受け入れること。そして、それを他人と共有すること。辛い時に素直に『辛い』と言えるかどうか、それが私を支えているの。」


母は自身の感情を隠さず、日々の苦しみや不安を直視していた。それだけでなく、周囲の人々との関係性を大切にし、辛さを共有することで心の平穏を保っていたのだ。


その瞬間、私の中で一つの大きな気づきが生まれた。心理学の理論を超えた、人間としての心の在り方。それは、理論や方法論だけでは捉えきれない、深い共感と愛の力だった。


母との会話は、その後も続いた。彼女は自分の過去のこと、人生で経験した喜びや悲しみについて話してくれた。それは一つ一つが貴重な教訓となり、私の心に深く刻まれていった。


その後、私は母の教えを胸に、自分の研究に新たな視点を取り入れるようになった。心の奥底にある感情や思考、それを他者とどう共有するか、それが人間関係においてどれほど重要な役割を果たすかを研究の中心に据えることにした。


母が亡くなったのは、それから半年後のことだ。彼女は最後まで笑顔を絶やさず、家族や友人に感謝の言葉を伝え続けた。その姿を見て、私もまた強く生きる勇気をもらった。


母との日々が私に教えてくれたこと、人間の心の奥深さとそれを他者と共有することの大切さ。それは私の研究だけでなく、私自身の生き方にも大きな影響を与えた。


母が残してくれた言葉と生き方、そしてその精神は、これからも私の心の中で生き続けるだろう。彼女の教えを胸に、私は自分自身の感情と向き合い、他者と共感し合うことの大切さを忘れずに生きていく。


母よ、ありがとう。あなたが教えてくれたすべてのことを、私は絶対に忘れない。母の愛と強さ、それが私の心の支えとなり、これからの人生を力強く歩んでいく原動力となるのだから。