心の解放
幼少期の私は、いつもどこか不安定な心を抱えていた。家族は仲が良いわけでも悪いわけでもなく、ただ日常の繰り返しに満足していた。しかし私には、それがどこか窮屈で息苦しかった。心を閉じ込められたような感覚だった。
中学二年生の時、心理学に興味を持ち始めた。担任の先生が授業で、フロイトの精神分析について話していたのがきっかけだ。彼の理論は、単なる文字通りの意味を超えて、私の心につっかかる何かを持っていた。無意識だとか、自我だとか、そういった難解な概念が、私を解き放ってくれる気がしたのだ。
《心》とは何か。それを探求するために、読書の多くを心理学に捧げるようになった。昼夜問わず、教科書や論文、様々な専門書を読み漁った。特にユングの「集合的無意識」の論に強い衝撃を受けた。私たち全ての人間が共有する潜在的な意識、それが私を人間として成り立たせているのだと気づいた瞬間の興奮は今も記憶に新しい。
高校生になり、心理学に強い関心を持ち続ける一方で、自分自身の心の変遷にも意識を向け始めた。初恋、友情、競争、失敗――それらの経験が私の中でどのように処理されているのかを観察し、分析することが習慣になっていった。しかし、それは同時に過剰な内省へと繋がり、時には自己批判的な感情に苛まれることも多かった。
大学では、当然のように心理学を専攻した。理論と実践、両方を学びながら、自分自身の心の謎を解き明かそうと試みた。毎日のように講義や実験に参加し、多くの知識を身につけた。しかし、実生活では孤立感が強まっていた。友人との関係も疎遠になり、どこか自分が浮いているような感覚が拭えなかった。心理学の知識を持っているからといって、自分自身の心を完全に理解できるわけではなかった。
その中で、私にとって大きな転機となる出来事が訪れた。ある日のこと、大学の研究室で優れた教授と対話する機会があった。彼は心温かく私を迎え、一つ一つの質問に対して親身に答えてくれた。そして、彼が一言、「心理学は他者との関わりを通じて自身を理解するための学問だ」と言ったとき、私の価値観が大きく変化した。
その後、私はカウンセリングの実践に力を入れ始めた。最初は少し緊張していたが、人々との対話を重ねるうちに、自分自身の心の中にも新しい光が射し込んでくることに気づいた。他者の心の奥底に触れ、その痛みや喜びを共に感じることで、自分が求めていた《心の解放》に一歩近づいたのかもしれない。
現在、私は臨床心理士として、多くの人々と向き合い続けている。その中で、何度も自問自答を繰り返しながら、自分自身の心もまた成長していると感じている。完全に理解されることのない心の謎は残るものの、その探求の過程そのものが私の生きる意味となっている。