心に残る日々
私の名前は佐藤明子、56歳の主婦である。東京の郊外にある静かな町で生まれ育ち、結婚してここに留まった。今日、特別な出来事があるわけでもなく、平凡な日常を一つの記録として書き残してみようと思う。
朝6時。日の出が遅くなり、窓の外はまだ薄暗い。夫の隆一が出勤する前に朝食を整える。今日は目玉焼きに味噌汁、そして昨夜の余り物の煮物だ。地味かもしれないが、こういった温かい朝食が一日の活力になると信じている。
朝食の支度が整い、テーブルをセットすると、すぐに隆一が寝室から出てきた。お互いに「おはよう」と挨拶し、椅子に腰掛ける。結婚して30年以上経つが、こうしたやりとりが日々の心の安定を保ってくれている気がする。
「今日もお仕事、大変そう?」と私は尋ねる。隆一はいつも相変わらずの表情で、「まぁ、普通かな」と答える。この「普通」がどれほど貴重なのか、二人とも分かっている。大きな波風が立つことなく、穏やかに過ぎる日々に感謝している。
隆一を送り出し、台所を片付けると、今度は自分の時間だ。朝の家事は大体、午前中で終わる。窓際の椅子に座り、庭の手入れや読書をするのが私の日課だ。特に、季節の移ろいを感じる瞬間が好きだ。今日は少し涼しく、秋の気配が感じられる。庭の紅葉も少し色づき始めている。
昼食は自分ひとりだから簡単に済ませる。今日は、昨夜の残り物のきんぴらごぼうと、おにぎりである。少し前まで、一人での食事は寂しさを感じる瞬間もあった。しかし、今ではそれも一つの贅沢な時間に感じるようになってきた。テレビをつけながら、一人静かに食卓を囲むことができるのは、自分自身との対話の時間でもあるのだ。
午後、スーパーへ買い物に行く。東京の片隅にあるこの商店街は、昔から何も変わらないと感じられる。八百屋の山田さん、魚屋の小林さん、果物屋の清水さん。みんな顔なじみだ。「こんにちは」と挨拶を交わしながら、新鮮な野菜や魚を買い求める。小さな会話が、私の日常に彩りを添えてくれる。
帰り道、幼いころ友達と遊んだ公園を通る。一つ一つの遊具が、子ども時代の記憶を呼び戻す。私たちが時間を忘れて遊んだあの頃、未来がこれほど平和で満たされるとは思わなかった。子どもたちももう独立して、自分の世界を築いている。寂しさもあるが、それ以上に誇りに感じる。
夕方になると、再びキッチンに立つ。今日の夕食は焼き魚に味噌汁、そして炊き込みご飯だ。手を動かしながら、無心になって料理をすることが心地よい。冷蔵庫から調味料を取り出し、鍋の音が心地よいリズムを刻む。料理をしながら、ふと窓の外を見ると、夕陽が美しいオレンジ色に染まっている。こうした瞬間が、私の日常の中で最も好きな一幕だ。
隆一が帰宅する音が聞こえる。「ただいま」と言いながら玄関を開ける彼に、「おかえり」と返す。これもまた、30年以上続いている習慣だ。夕食を楽しみながら、今日見たこと、感じたことを語る。そんな何気ない会話が、私たちの絆を強めてくれる。特に大きなニュースはないが、日々の小さな出来事がどれも重要に感じられる。
夜が更けると、再び賑やかな時間は静寂に変わる。窓から見える星空を眺めながら、今日一日を振り返る。時折、過去の出来事が浮かび上がり、そのすべてが今の私を形作っていることを感じる。土台となるこの「日常」が、いかに大切かを改めて思い知らされる。
毎日が特別とは言えないが、その一つ一つが私にとっては大切な宝物なのだ。こうした平凡な日常が、私の自伝として最も大切な部分を占めている。日々の些細な幸せや繰り返される習慣こそが、私の生き方を美しく彩ってくれる。そう信じて、これからもこの日常を大切に生きていきたいと思う。