父の影を超えて
私は幼少期の記憶を辿りながら、その中に潜む心理を探ることに興味を持つようになった。これは、ある一冊の古い日記に触れたことから始まる。実家の屋根裏部屋で埃にまみれた箱を開けたとき、それはひとつの小さな宝物のように私の手の中に現れた。
「彼にはなれない」
ページをめくると、この言葉が何回も繰り返されていた。そのころの私には意味が理解できなかった。
父は厳格だった。彼はエンジニアで、一切の妥協を許さない性格の持ち主だった。家族の中で彼の言葉が法であり、私もその影響を強く受けた。彼は常に「完璧」を追求し、私にもその考えを押し付けた。
成績でトップをとること、スポーツで優勝すること、すべてにおいて優れた結果を求められた。私はそれに応えるために努力した。だが、どれだけ頑張っても父の期待には届かなかった。
中学三年生の頃、ひとりの教師が私に声をかけた。古典文学の授業中、彼は私のレポートを褒め、感受性と洞察力があると言ってくれた。しかし、その言葉は父の前では無力だった。
「文学なんて無駄だ。エンジニアになれ。」
それは冷たい鉄製の壁のように、私の心を凍らせた。
高校に進学するころ、私はよく考えるようになった。父の影響から逃れ、自分の道を見つけたいと。この葛藤が私の内面に常に付きまとい、夜も眠れない日々が続いた。それでも、私はまだ彼の期待を一部で抱えていた。
大学は私にとって逃げ道だった。遠く離れた街へ進学を選び、できるだけ父の視線から逃れることに努めた。そして心理学を専攻することに決めた。私にとって心理学は、自分自身を探る旅の始まりだった。
講義の中で、私たちはさまざまな理論やケーススタディを学び、自己認識の手法も習得した。フロイトの無意識の探求、ユングの集合的無意識、ロジャーズの自己概念理論――これらの知識が一層私を深い迷宮へと導いた。
特に興味深かったのは、自己認識のプロセスだった。自身の内面を客観的に見つめること、無意識のうちに抱えている欲望や恐怖を理解すること。その時間は自己分析の終わりなき旅のように続いた。
大学三年生のとき、カウンセリングの授業で一人のケースが紹介された。そのクライアントは父親の期待に苦しみ、自分の道を模索している若者だった。その詳細はまるで私自身の話のようだった。
ある日、その講義の後、私は教授に声をかけた。「このケースは私です」と。その瞬間、教授はただうなずき、私をカウンセリングルームへと案内してくれた。そこから、本格的な自己探求が始まった。
カウンセリングを受ける中で、私は一つの重要な事実に気づいた。それは、父の期待ではなく、自分自身の願望を追求することの重要さだ。私は誰のために生きるのか、何が私を本当に喜びへと導くのか、それを見つけることこそが私の最優先課題だった。
卒業後、私は心理カウンセラーとして働き始めた。多くのクライアントに接する中で、私自身の経験が多くの人々にとっても共通する問題だと感じた。期待と現実の板挟み、自分自身を理解することの難しさ、そして真の幸福を見つけるための努力。
一つのセッションで、若い女性が私にこう尋ねた。「先生はどうやって自分を見つけたのですか?」
その質問に答えるために、私は過去を振り返り、そしてあの古い日記を思い出した。彼にはなれない――それは最も真実でありながら、痛みを伴う言葉だった。
「私も長い間、探し続けているんですよ」と答えた。「まだ完全には見つけていませんが、自分を理解し、その過程を楽しむこと。それが大事なのだと感じています。」
あの日記を書いたのは、私自身だった。子供の頃の私が。それは未来の私へのメッセージだったのかもしれない。彼にはなれない、でも私は私であることができる。それが、私がたどり着いた結論だった。
心理学を通じて、私は自己認識と理解の旅を続けながら、他人の苦しみを少しでも軽くすることができるようになりたいと思っている。これは終わりのない旅だけれど、それが私の道だと、今は確信している。