心の囚われ

私は自分の心の中で常に戦っていた。周囲が平穏そのものであっても、私の内面は嵐のように渦巻いていた。小さな頃から、周りの目を気にしすぎる性格だった。友達と遊んでいるときも、笑顔の裏に不安が巣食っているのを感じた。「私はこの場にふさわしいのだろうか?」という疑念が私を捕らえ、まるで鎖で拘束されているかのようだった。


高校に進学すると、その思いは一層強くなった。自分の存在価値を証明するために、勉強に打ち込んだり、部活動で活動的になったりした。でも、どんなに努力しても、他人と自分を比べてしまう。クラスメートの成績や容姿を見ては、自分があまりにも劣っているように感じた。心の中で、「もっと頑張らなければ。もっと輝かなければ」と自分に言い聞かせる。だけど、その思いはいつも私を疲れさせるだけだった。


そんな私を救ったのが、心理学の授業だった。教授の言葉には深い理解と共感があふれていた。彼は私たちに、他人と比較する必要はない、自分自身を知ることが大切だと教えてくれた。「心は、時に迷子になることもある。その迷子になった部分を理解することで、自分を取り戻すことができる」と言った。そこで私は、心の奥にしまい込んでいた感情をじっくりと見つめることにした。


ある日、私はノートを開き、心の中の声を一つずつ書き出した。「私は愛されていない」「私は努力が足りない」「私は他人の目が気になる」…その言葉がノートの中に並ぶにつれ、涙が自然と流れた。思い返せば、これらの言葉は私を縛る鎖だったのだと実感した。


ノートを閉じてから、私は自分に合った方法で心の整理を始めることに決めた。まず、週に一度、自分への手紙を書くことにした。「今日はどんなことを考え、どう感じたかを素直に書く。良いことも悪いことも。」その手紙を書くことで、自分の気持ちが少しずつ解放されていくのを感じた。そして、どんな感情も私の一部であり、受け入れることが大切だと気付いた。


大学に進学すると、私は心理学の分野でさらに学びを深めることができた。講義の中で、他人を理解することで自分を理解することができるという教えに出会った。私は、同じような苦しみを抱える学生たちと出会い、自分の経験を共有することで、心の距離が縮まるのを実感した。彼らと一緒に話をすることで、孤独感が薄れていくのを感じた。


時間が経つにつれ、私は徐々に自分を受け入れられるようになった。しかし、心の中の不安は時折顔を出した。人と接するたびに、「私は大丈夫だろうか」という疑念が頭をかすめた。そんな時は、心の中で自分に言い聞かせた。「私は私でいい。ここにいることが大切だ」。


数年後、私は心理学の学位を取得し、カウンセラーとして働くようになった。自分が経験した苦しみを、他の誰かの支えになることに意味を見出した。私のクライアントには、私と同じように悩みを抱えた人々が多くいた。彼らの話を聞きながら、自分自身の経験を基に、少しでも力になれるよう努めた。


ある日、一人の女性が私のもとを訪れた。彼女は自分の存在価値を見失い、塞ぎ込んでいた。彼女の話を聞くうちに、私はかつての自分を思い出した。彼女の涙は、私自身の涙でもあった。その瞬間、過去の自分を受け入れたからこそ、今の自分がいるのだと深く理解した。


私は彼女に、恐れている感情をすべて受け入れることが大切だと伝えた。彼女が少しずつ心を開く姿を見ながら、私もまた彼女から学んでいることを実感した。


心の旅は続いている。完璧を求めることは難しい。しかし、私は自分を愛し、他人を理解することができる。自分の心の声に耳を傾けることで、より豊かな日々を過ごすことができていると感じている。私の心の中に、少しずつ平穏が訪れているのだ。