忘れられた声

ある町に、長い間放置された空き家があった。その家はかつて家族が住んでいた場所で、子供たちの笑い声が響いていた。しかし、時が経つにつれ、家族は引っ越し、家は誰の手も触れられないまま朽ち果てていった。周囲の人々はその家を恐れ、近寄らないようにしていた。特に、中高生たちは肝試しに最適な場所として利用していた。


ある夏の晩、町の高校に通う3人の友人、浩司、真美、そして直人はその空き家に肝試しに行くことにした。彼らはゲームのように楽しむつもりだったが、何か特別な恐怖を感じたのは確かだった。彼らの間には、空き家の裏にいるという噂の「幽霊」や、過去にその家で起きた悲劇が語り合われていたからだ。


「ここ、本当に入るの?」真美は少し怯えながら言った。浩司はにやりとして、「大丈夫だよ。誰も本当に怖いとは思っていないさ。ただのおばけの話だ。入ってみれば何も起きないって」と励ました。直人は心の中で同じように思っていたが、勇気を出さなければと思っていた。


3人は空き家の前に立ち、深呼吸をした。ボロボロの扉を押して入ると、中は薄暗く、埃にまみれた家具が散乱していた。冷たい空気が彼らの背筋を走り抜け、思わず震える。彼らは話し声を潜めながら、家の中を歩き回った。


不意に、真美がひとつの部屋に目を留めた。「見て、あの古い写真立て!」彼女は写真立てを手に取り、その中の黒白の写真を見た。そこには幸せそうな家族の姿があったが、その目はどこか哀しみを帯びているように見えた。「この家、どうして放置されているのかな?」直人が呟いた。


その時、彼らの目の前に突然ドアがきしむ音がして、思わず全員が振り返った。「誰かいるの?」浩司が不安そうに叫んだが、返事はなかった。だが、彼らの心には不安が広がり、まるで誰かに見られているような気持ちを抱えながら、その場を離れることにした。


彼らは次の部屋へと進み、さらにその奥の階段を上がった。上の階には何もない部屋が多く、億劫になるほどの埃が舞っていた。しかし、一つの部屋の扉がわずかに開いていることに気が付いた。そこには小さな子供の部屋があった。おもちゃが散らばり、壁にはカラフルな絵が描かれていた。子どもたちが元気に遊んでいた日々が思い浮かぶ。


「ここ、なんだか不気味だね」と直人が呟いた。浩司は一瞬、視線を壁に移した。そこには傷のある飾り棚があり、その下には小さな靴が一足置かれていた。「これ、誰の靴だ?」真美が少し興奮した様子で聞いた。「知らない」と浩司が答えた瞬間、部屋の中に冷たい風が吹き抜けた。


その時、真美は何かを感じ取った。「誰かの声が聞こえた気がする…」彼女は恐れを感じながら言った。浩司と直人は一瞬顔を見合わせたが、真美の言葉を無視するわけにはいかなかった。「ちょ、ちょっと待って。もう帰ろうよ」と浩司が提案したが、真美はそのまま奥へと進んでしまった。


彼らは真美の後を追った。彼女が見つけたものは、暗がりに埋もれた手紙だった。古びた紙には、かつてここに住んでいた家族の悲劇が綴られていた。一人の子どもが病気で亡くなり、残された家族が心を失い、そしてついには家を手放したということ。それを知った瞬間、彼らの心は重くなり、空気が一変した。


そこにいたのは、ただの恐怖ではなかった。この家には不幸の記憶が残っていた。彼らはその家が何を意味していたのかを理解し始めた。この空き家が幽霊の噂になっていたのは、なくなった子どもたちの魂の声が、今でもこの場所に残っているからだったのだろう。


「私たち、ここにいてはいけない。これ以上は怖すぎる。早く出よう」と直人が言った。浩司も頷き、真美の肩を掴んで部屋を後にした。彼らは急ぎ足で家を出て、外の明るさを求めた。


冷たい空気と静けさに包まれながら、その家を振り返ると、何かが彼らを見送っているように感じた。それは過去を背負った悲しい視線だった。その後、彼らはこの空き家の前を通るたびに、ただの古びた家ではなく、かつての命の重さを忘れないようになった。人々はそんな家に再び笑顔を取り戻すことは難しいかもしれない。ただ記憶として心の奥深くに刻まれるのだろう。


彼らの心の中には、ただの恐怖や肝試しではなく、社会が抱える問題や悲劇が映し出されるようになった。この家のように、忘れられた声たちのために、何かを考え、行動する責任があるのではないかと。それが、彼らがこれから生きていく上での大きな意味を持つことになるのだった。