影の記憶
静かな田舎町、陽が沈みかけた夕方のことだった。その町には「黒い影」と呼ばれる伝説があった。人々はその影に触れた者が、必ず不幸に見舞われると噂していた。ある日、大学生の翔太は、友人たちとその伝説を試すことになった。
「どうせ迷信だろ」と笑いながら、翔太は仲間たちを引き連れ、町外れにある古い屋敷へ向かった。そこはかつて、裕福な家族が住んでいたが、ある日一家全員が不可解な死を遂げ、以来、誰も近づかなくなった場所だった。友人たちの中で怖がりの玲子は、「本当にやめた方がいい」と言ったが、翔太は興味津々で彼女の手を引いて屋敷の中に踏み込んだ。
屋敷に入ると、気温が一気に下がったように感じられた。埃まみれの家具や、ひび割れた壁は、まるで過去の記憶を抱えたかのように静まりかえっていた。翔太はスマートフォンのライトを照らしながら、「ほら、何もないじゃん。」と友人たちを煽った。
ところが、その瞬間、隣の部屋から奇妙な音が聞こえた。「キシキシ」というかすかな音。翔太は好奇心に駆られ、音の正体を確かめようと友人たちをその部屋に招き入れた。音のする方に近づくにつれ、翔太の心臓は高鳴り、息が一瞬止まりそうになった。
部屋の奥に、旧式のレコードプレーヤーがあった。針は古びたレコードの上にあり、何もないはずの部屋で妙に音楽が流れていた。翔太はプレーヤーの近くに立ち、つい手を伸ばして針を止めようとした。しかし、その瞬間、部屋の明かりがチラチラと不規則に点滅し、冷たい風が吹き抜けた。
「翔太、やめろ!」と玲子が叫んだが、彼は無視して針を止めた。音楽が止まった途端、部屋は静まり返り、まるで時が止まったかのようだった。そして、次の瞬間、彼らは震えるような声で「出て行け」と警告された。翔太たちは思わず視線を交わし、恐怖に駆られて逃げ出そうとした。
しかし、玄関のドアが閉まっていて開かない。まるで誰かに意志で閉じ込められたかのようだった。翔太たちの不安が増す中、背後から再び「出て行け」という声が響いた。その声には、怒りと悲しみが入り混じったような深い感情が含まれていた。
恐怖にかられた翔太は、友人たちを連れて窓から逃げ出すことを決意した。しかし、窓もまた固く閉ざされ、簡単には開かなかった。その時、玲子が悲鳴を上げた。「誰かいる!誰かいるよ!」その声に皆が振り返ると、薄暗い部屋の中に人影が浮かび上がった。
その影は人間の形をしていたが、顔は暗闇に隠れ、全体がぼんやりとした輪郭しか見えなかった。翔太たちは恐怖で身動きができず、その不気味な影を見つめていた。影はゆっくりと近づいてきて、口を開いた。「私たちを助けて…。」
震える声に翔太は、「何を助ければいいんだ?」と聞き返した。しかし、影は返事をせずにただ涙を流し、翔太たちに恨めしげな眼差しを向けた。全員がこの場から逃げ出すことだけを考える中、翔太は勇気を振り絞ろうとした。
影の声は、過去の悲劇を語り始めた。その屋敷で何が起きたのか、そして家庭が壊れた理由。翔太はその話を聞きながら、何かを感じていた。自分たちがぬくぬくとした生活を送る中で、忘れ去られた悲劇がここにあることを痛烈に理解した。
「私たちは、受け入れて欲しかったの…」最後の言葉が響いたとき、翔太は心に浮かんだ一つの決断があった。この影を放っておいてはいけないと。彼は仲間たちに「助けよう」と言った。友人たちも怖がりながら賛同し、翔太は影の前に立ちました。
「私たちにできることは何?」影は再び涙を流しながら静かに言った。「私たちの物語を忘れないで…。」翔太はその言葉を胸に刻み、仲間たちと共にその屋敷を後にした。
数日後、翔太たちは町の公民館に集まった。そして、彼らが体験したこと、影の物語を共有するイベントを開くことにした。伝説の真相を語り、昔の人々の思いを忘れないようにするために。そして人々がその歴史を知ることで、悲劇を繰り返さないように。
屋敷の影は、ずっとその場所に留まっているかもしれない。しかし、その存在はただの恐怖ではなく、過去の悲劇の記憶を語るために必要なものだった。翔太たちの小さな勇気が、やがて町中の人々に希望をもたらすことになるとは、その時はまだ誰も知る由もなかった。