亡霊の森の選択

彼女の名前は咲良。彼女は、町の外れにある小さな森の近くに住んでいた。森は薄暗く、葦の茂みが入り組んでいる。子供の頃、母から「森に行ったら決して迷ってはいけない」と言われたことがある。そんな教えを胸に抱きながら、彼女はその森に足を運ぶことを避けていたが、ある日、ふとしたことでそれを破ることに決めた。


それは月明かりが青白く輝く夜だった。咲良は長い間彼女の心を悩ませていた夢を見ていた。夢の中で、彼女は森の中を一人で歩き、何かを探している。まるで誰かが彼女を呼んでいるようだった。気がつけば、夢から覚めた後でもその感覚は消えず、その衝動に抗えず、彼女は森に向かって歩き出した。


森に足を踏み入れると、彼女は静寂に包まれた。風の音もなく、虫の鳴き声も聞こえない。僅かに感じる冷気が彼女の肌を撫でる。この場所は子供の頃から名づけていた「亡霊の森」だった。ここで迷った人々の噂が、咲良の耳にはいつも少し不気味に響いていた。


歩き続けるにつれて、ますます暗くなる森の奥へと、咲良は進んでいった。するととつぜん、彼女は目の前に一つの古びた小屋を見つけた。小屋は朽ちかけ、周囲の木々に覆われて、まるで誰も訪れない秘密の場所のように見えた。咲良はその引き戸を押し開けた。


中には一枚の古びた鏡が立てかけられていた。鏡にはヒビが入っており、周囲には不気味な色合いの影が揺れていた。咲良は鏡に近づき、自分の姿を確認した。すると、彼女の後ろに小さな子供の姿が映った。驚いて振り返るが、そこには誰もいない。再び鏡を見つめると、影は一瞬消え、今度は彼女の知らない少女の笑顔が映し出されていた。


「あなたを待っていたのよ」


その声が彼女の脳裏に響いた。声の主は明るい金髪の少女で、彼女は自分の目をじっと見つめた。咲良にはその少女が誰だかわからなかったが、どこか懐かしい感覚が心を掴んだ。


「あなたは誰?」


質問するが、少女はただ微笑んでいるだけだった。咲良は不安を抱きながらも、少女の輝く目に引き寄せられ、何となく手を伸ばしてしまった。彼女の指先が鏡の表面に触れた瞬間、景色が歪んだ。咲良は吸い込まれるような感覚を覚え、次の瞬間、鏡の中に引き込まれてしまった。


気がつくと、咲良は別の場所に立っていた。目の前には、何とも奇妙な世界が広がっていた。空は暗く、不吉な雲に覆われ、静寂が支配する。周囲を見渡すと、無数の人々が彼女のことをじっと見ていた。彼らの目には焦燥感が宿り、まるで何かを求めているかのようだった。


「助けて…」


誰かの声が咲良の耳に響いた。それはすぐ近くから聞こえるものの、声の主を見つけることができない。焦りながら歩き出すと、彼女は再びあの少女を見つけた。少女は今度は手を伸ばし、咲良を呼び寄せている。


「こっち。私のところに来て!」


少女の導きに従って、咲良は人々をかき分け、彼女の元へと辿り着いた。少女は優しい笑顔を向け、呪文のような言葉を唱え始めた。その瞬間、周囲の人々が彼女を取り囲み、手を伸ばしてきた。彼らの顔には切実な願いが渦巻いているようだった。


「お願い、私たちを救って!」


咲良はその言葉に心を揺さぶられた。しかし、彼女には何をすることも出来ない。望んでも救えない存在がこの場所には無限にいるようだった。焦りが募る中、少女の言葉が再び響いた。


「あなたが選ぶの。生かすか、死なせるか…」


選択を迫られることで、咲良は心の奥の恐れが呼び起こされた。生きること、死ぬこと。それは彼女にとって最も重いテーマだった。彼女は無意識のうちに森の中での自分を思い出し、選らばれることの重みを理解した。


「あの子、私の中に入っているの?」


彷徨う心の中で、咲良はその少女が自分自身の一部であることを悟った。もう一つの自分が、彼女の心の奥で生き続けていた。それを解き放つことが、彼女を救う道なのではないかと考えた。


咲良は心を決め、少女に向き直る。「私は選ぶよ。生きるために、私を解放して!」


少女は微笑み、そして彼女の手を握った。「そう、あなたが選んだのだから。」


次の瞬間、全ての人々が彼女の周りから消えて、森の中に再び戻された。咲良は目を覚ますと、古びた小屋の前に立っていた。鏡はもうそこにはなかった。


それから数日後、咲良は森の近くで見かけた少女を思い出していた。彼女は何も手に入れなかったが、それでも生き延びたことを感じていた。生きるとは、そういうことなのだと彼女は悟った。生と死の狭間で選択をすること、それが私たちの魂の旅なのだ。