闇に消えた声
深夜、街灯のない田舎道を一人の青年が歩いていた。彼の名は健太。友人たちとキャンプに出かける途中、事故で車が故障し、近くの村に向かって歩いていた。月明かりに照らされた道は静まり返っており、虫の声すら聞こえない。心なしか、どこか不気味な雰囲気を感じた。
歩き始めて30分ほど経った頃、健太はふと、道の脇にある古びた家を見つけた。窓はすべて閉じられ、不気味な影が揺れているのが見えた。彼は好奇心に駆られ、その家に近づいて行った。ドアは錆び付いていて、触れると僅かに開いた。恐る恐る中に入ると、冷たい空気が流れ込んできた。
家の中は薄暗く、埃にまみれた家具が置かれていた。健太は何か異常を感じながらも、一歩一歩と奥へ進んだ。すると、ふと耳にした気配に振り返ると、何かが影となって動いた気がした。しかし、何も見えなかった。彼は自分の気のせいだと思い直し、さらに奥へ進んだ。
中庭に出てみると、朽ち果てた井戸があった。水面は黒く濁っていて、何かが底に沈んでいるように見えた。その瞬間、背筋が寒くなり、彼の心臓はドキドキと速くなった。なぜか井戸の縁に目を引かれ、彼は近づいてしまった。辺りは静寂に包まれ、彼の心に不安が広がる。
その時、後ろから誰かの声が聞こえた。「助けて…」それはかすかな声で、今にも消えそうな響きだった。健太は振り返るが、誰もいない。怖れと不安が同時に襲いかかり、彼は逃げるように家の中へ戻った。
中に入ると、部屋の奥から再びあの声が聞こえる。「助けて…」今度は明らかに彼に向かっている。声の出どころを探るため、彼はさらに奥に進んだ。薄暗い廊下を進むにつれて、声はどんどん強くなり、まるで自分に助けを求めているかのようだった。
やがて、彼は一つの扉にたどり着いた。ドアノブを握る手は震え、彼は躊躇ったが、声が「早く来て!」と叫び続ける。意を決し、ドアを開けると、そこには小さな女の子が立っていた。彼女は白いワンピースを着ていて、髪は乱れ、目は涙で潤んでいた。
「私を助けて…誰かが…」と彼女は弁えもなく叫ぶ。
どう言えばいいのか分からない健太は、彼女の元へ駆け寄った。しかし、その瞬間、女の子の姿が揺らぎ、彼の目の前で消え去ってしまった。驚愕のあまり立ち尽くす健太の背後から、低く不気味な笑い声が響いた。
振り返ると、黒い影が人の形をして立っていた。それは彼をじっと見つめており、次第に近づいてきた。「お前もここで一緒になりたいか?」という声が彼の耳に入る。健太は恐怖に駆られ、その場から逃げ出した。廊下を必死に駆け抜け、家の外へ飛び出ると、冷たい夜の空気が彼の顔を叩いた。
しかし、彼が振り返った時、家の姿は消えていた。まるで最初からなかったかのように、そこにはただの空き地が広がるだけだった。彼は手足が震え、心臓が爆発しそうなほどに鼓動していた。一体何が起こったのか理解できず、ただ村へと逃げるように走り続けた。
村に着くと、そこで出会ったおじいさんに状況を説明した。しかし、彼はただ黙ってうなだれ、「その家には近づかない方がいい」と警告した。村に伝わる噂によれば、昔、その家に住んでいた家族が失踪し、未だにその家には魂が留まっていると言われていたのだ。
健太はそのとき、自分が見た女の子の声が、もしかしたら助けを必要としていた本当の姿であったのか、そして、彼を呼び寄せたのがその影だったのかと考えた。彼は恐怖を抱えながらも、あの家が本当に存在し、何かしらの力を持っていることを感じ、決して忘れることはなかった。深い夜の闇の中に埋もれた恐怖、それは彼の心の奥底で決して消えることのない恐怖として生き続けるのだった。