忘れられた少女

霧の深い夜、村の外れにある古びた屋敷が一際目を引く。村人たちはその場所を避け、悪夢のような噂を囁いてきた。かつて華やかな生活を送っていた一家が不幸な事故で命を失い、それ以来その屋敷は呪われた場所とされていた。そんな屋敷を訪れたのは、若き未来の作家、綾香だった。彼女は不思議な現象を書くためのインスピレーションを求め、勇気を振り絞ってその扉を叩いた。


屋敷の中は湿気を含んだ薄暗い空間で、壁には複雑な模様が浮かび上がっていた。足音が響くたび、不気味な静けさが耳に刺さる。綾香は心臓の鼓動を感じながら、更に奥へと進んでいった。彼女は文房具を持参しており、気になったことを全てメモに取りながら進む。


突然、背後でドアが強く閉まる音がした。驚きに目を丸くし、振り返ると、そこには何もいなかった。綾香は恐怖と好奇心に引き裂かれながら、再び歩き出す。彼女の目の前には大きな鏡が立っていた。その鏡は状態が悪く、歪んで映し出すものが異様に見えた。


彼女が鏡を覗き込むと、自分の映像が不自然に動くのを感じた。微笑んでみせる自分の姿が、急に真剣な表情へと変わった。その瞬間、綾香は総毛立つような感覚を覚えた。背後で誰かが息を潜めているのではないかと感じながら、彼女は何か視線を感じ振り返る。しかし、またしても誰もいない。


再び鏡に目を戻すと、今度は映っている自分の姿がこちらを見ているのではなく、屋敷の中の別の部屋をじっと見つめているように見えた。好奇心が彼女を覆い、もう一度鏡をじっと見つめる。そこに映るのは、薄暗い部屋の中で何か小さな生き物が動く様子だった。それがなんなのか、すぐには判別できなかった。


その生き物は、まるで彼女に向かって手を振っているかのようだった。綾香は気になり、次第にその部屋に足を運ぶ決意を固めた。徐々に歩を進めると、廊下の端にあるドアがかすかに開いていた。恐る恐る中を覗き入れると、その部屋は古いおもちゃで溢れていた。埃をかぶったぬいぐるみや、色あせたボードゲームが散乱している。


しかし、そこには綾香の好奇心をさらに掻き立てる物があった。中央には古びたおもちゃのピアノがあり、その鍵盤の上には一対の小さな手が見えた。生き物はそこにいた。視線を動かすと、そこには一人の少女が座っていた。その少女は青白い顔をし、目は虚ろだった。「遊ぼうよ」と彼女は呟いた。


その瞬間、綾香はその少女を知っているかのような気がした。しかし記憶に欠けている何かが心の奥に渦巻く。少女はピアノの鍵盤を叩き始め、音は空虚に響き渡った。綾香は拒否感を抱きながらも、何か惹きつけられるように、彼女のそばに寄っていった。


「私を忘れないで」と少女が告げる、声は優しいがその響きに恐怖を覚えた。綾香は背筋に冷たいものを感じ、思わず後退した。しかし、その瞬間、少女の表情は一瞬にして変わり、絶望に満ちた顔へと変わった。「あなたもここに留まるの?」と。


急に部屋が暗くなり、光が消えかけた。綾香は恐怖に駆られ、背後のドアへと駆け出すが、悪夢のような場面が彼女を捉えた。少女の影が伸び、彼女の腕を掴もうとした。綾香の心臓は大きく脈打つ。彼女は一瞬の決断で、周囲の物を手に取り、その影を振り払った。


思わず叫びを上げながら、全力で部屋から飛び出すと、廊下を駆け抜け、二度と振り返ることはできなかった。廊下の終わりにある出口へ向かって、彼女は必死に駆ける。外の月明かりが彼女を待っているように感じられた。その時、ふと少女の言葉が頭の中を響いた。「忘れないで」。


村に戻り、綾香はその日記に全ての出来事を書き留めた。しかし、その言葉は彼女の心に重く居座り、夜ごとに夢を見させた。毎晩、あの少女が現れ、再び遊ぼうと誘う。彼女はその日を忘れることができず、今もどこかで少女を救うために、進むべき道を探しているのかもしれない。屋敷の霧が深まり、彼女の運命は不思議な螺旋へと導かれていくのだった。