都市の闇
その晩、東京の都心を雨が包み込んでいた。冷たい滴がビルのガラスに当たり、不規則なリズムで流れ落ちる音が、都会の喧騒を和らげる。しかし、その気まぐれなリズムの中に、ある小さな物語が紛れていた。
晴海はある古びたビルの一室に佇んでいた。そこはかつて繁華街として栄えたが、今ではシャッター通りと化してしまった区域の一角だった。部屋には一昔前の家具が乱雑に置かれ、窓際には灰皿とギターが無造作に放置されていた。部屋の中心には立派なデスクがあり、その向こうに中年の男が座っていた。薄汚れた灰色の背広を着たその男、山田は冷ややかな目で晴海を見つめていた。
「お前、やる気はあるのか?」
山田の低い声が室内に響く。晴海はその声に一瞬怯んだが、意を決して視線を返した。
「はい、やる気はあります。でも、そもそも何をすればいいんですか?」
山田は軽くため息をつき、デスクの引き出しから一枚の写真を取り出した。それは中学生くらいの少年のものだった。柔らかな表情には年齢相応の無邪気さが滲んでいたが、その目には何か鋭いものが潜んでいた。
「これが今回のターゲットだ。」山田が簡潔に説明した。
晴海は言葉を失った。犯罪の世界に足を踏み入れた瞬間、自分がこれまでの生活から一線を越えたことを実感した。だが、彼には選択肢がなかった。借金を抱えていた家族を支えるために、自らこの仕事を選んだのだから。
「彼をどうするんですか?」晴海の問いに山田は静かに笑みを浮かべる。
「簡単だ。この少年に運ばれてくる荷物を奪うだけだ。中身については気にしなくていい。きっとお前の人生には関係のない物だろう。」
その言葉に、晴海は何か冷酷なものを感じ取った。しかし、彼には何も聞き返す勇気がなかった。
翌日、雨はやんだが空はまだ重く曇っていた。晴海は山田から教えられた倉庫の前に立っていた。そこで彼は少年を待つことにした。時間が経つにつれて、不安と緊張が入り混じる。晴海の心は乱れ、手のひらからは冷たい汗が滲んでいた。
ようやく、少年が現れた。軽くスポーツバッグを担いだその姿は、どこにでもいる普通の高校生のように見えた。しかし、その一瞬に晴海は冷たい現実を思い知らされる。この青年もまた、この都会のどこかで同じように生き抜いているのだろう。
「おい、そこの君!」晴海は思い切って声をかけた。少年は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに無言で走り出した。
「待て!」晴海は少年の後ろを追いかける。倉庫の間を抜け、狭い路地を駆け抜けた時、少年は突然立ち止まった。
「君、逃げなくてもいいんだ。話をしよう。」晴海の声には不自然な優しさが混ざっていた。
少年はちらりと晴海を見返し、バッグを投げつける。その瞬間、晴海は気づいた。これは簡単なただの襲撃ではない。何かもっと深い事情が絡んでいる。
突然、どこからか一発の銃声が響いた。晴海の心臓がかき乱される。彼は周囲を見回し、その時、影から現れた山田が銃を持って立っていた。
「やはり、下手な奴には任せられないな。」山田が冷たく呟く。
晴海の視線は、少年が倒れている姿に釘付けになった。血が滲むその光景は、瞬間的な現実逃避を跳ね返すように、彼を絶望に追い込んだ。
「こんなこと・・・、こんなことになるなんて・・・」晴海は震える声で呟いた。
「ああ、現実はいつも厳しいもんだ。お前がどうなるか、俺は興味ない。ただ、次は失敗するな。」山田は冷笑しながらその場を去った。
残された晴海は、一瞬にして人生が変わったことを実感した。彼はこの先どう生きていけばいいのか、今は何も考えられなかった。ただ一つだけはっきりしていたことがあった。それは、彼がもう二度と普通の生活に戻れないことだった。